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りーに
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10歳年上で転勤族の夫と0歳の娘・リクガメ2匹と暮らす30代の主婦。
20代でうつ病に苦しむが、転職し環境を変えて今の夫と出会う。
今では不動産投資・太陽光投資・fx・YouTubeなどいろんなことに挑戦中!
【変化を楽しむ】がモットー☆
自分が詳しく調べたことや経験を伝えることで、少しでも誰かの役に立ちたい。

【うつ病体験談②】薬を飲み始めてからの症状と自殺未遂、そして完治するまで

前回の、【うつ病体験談①】の続きです。

薬を飲みはじめてからは、よくなるどころか症状が悪化していきました。うつ病が悪化して症状が出ているのか、薬の副作用かは分かりません。

その時の症状と自殺未遂、そして完全に薬を飲まなくなるまで(自分の中では完治)を、長くなりますがお伝えします。

目次

抗うつ剤・睡眠薬を飲みはじめて出てきた症状

副作用が強めの抗うつ剤(詳しくは体験談①へ)を飲んだ時、今までの薬とは効き方が違いました。『この薬が一番合ってる!』自分の中では一番いい薬でした。

副作用として現れた症状

抗うつ剤だけでなく睡眠薬も服用していたので、どちらの副作用か正確には分かりませんが、抗うつ剤の方は副作用が強めと聞いていたのでおそらく抗うつ剤の副作用です。

副作用として現れた症状
  • ふらつき
  • 口の渇き
  • 食欲低下
  • 動悸
  • 手足の震え
  • 失禁

食欲低下については抗うつ剤を飲みはじめる前から食欲はなかったのですが、この薬を飲みはじめてさらに食欲がなくなったので、副作用かなと感じました。

抗うつ剤が効いているときの状態

抗うつ剤が効いているときは、不安感や落ち込みが緩和するだけでなく、酔っぱらった時のような頭がボヤーっとしてるけど気分がいいみたいな感覚になり視界がはっきりするのです。
うつ病が治ったかのような元気な時もありました。

仕事復帰するも、1ヵ月でまた仕事に行けなくなる

薬を飲んでいるときは調子がいい日が増えてきて、仕事をまた頑張れそう!という気持ちになり、一度復帰することにしました。
うつ病になり3ヵ月休職してからの復帰。
3ヵ月ぶりだったので、慣れるまでは業務時間を短くして、少ない仕事量を時間をかけてゆっくりしていくように言われました。

薬を飲んでいればみんなと同じように仕事ができるはず!と思っていたのですが、、実際仕事を始めると全然みんなと同じようにはできませんでした。

・頭が常にボヤーっとしている自覚があったため、少ない仕事量なのにミスしてはいけないと何回も何回も同じ確認を  してしまう。そのため全然仕事が進まない。
・薬の影響なのかパソコン画面が見にくい。焦点が合わない。陽炎のようにグラグラして見える。
・薬の効果がなくなってくると、一気に倦怠感・動悸・気分の落ち込みがくるため、仕事中にトイレから出れなくなったり、過呼吸になったりした。
・休んで迷惑かけていた分頑張らないと…という焦りと、誰よりも仕事ができていない劣等感で、薬を飲んでいても不安定になることが増えた

仕事に復帰してから薬を飲む量が増え、体調も悪化していきました。仕事中に動悸や過呼吸になることが増えてしまい、復帰して1ヵ月経つ頃には今後どうするかの面談をするようになりました。管理職から「また休職するか、無理せず退職するか考えた方がいい」と言われ、再度休職することにしました。
なぜか当時の私は、退職は全く考えていませんでした。

副作用なのかうつ病が悪化したのか分からない症状

復帰して1ヵ月でまた休職することになり、(結局自分は簡単な仕事すらできない。何のために生きているんだろう)と、復帰前より落ち込みが酷くなりました。
だんだん薬を飲んでも効果がでなくなってきて、1回で飲む薬の量が増えていきました。
鬱の症状が悪化して出ている症状なのか、薬の飲みすぎで出ている副作用なのか分かりませんが、体も心もいろんな症状がではじめました。

うつ病の悪化か副作用かわからない症状
  • 後頭部~首~肩にかけての筋肉の硬直(首を動かしにくい状態)
  • 夜中にトイレに行くとき毎回転倒(ひどいふらつきと眩暈)
  • 食べ物が飲み込みにくい(のどに引っかかる感じ)
  • 足が死んでいくような感覚(足を切り落としたくなるようなムズムズ感)
  • 死にたいという気持ちが強くなっていく
  • 体重減少(うつ病になる前に比べて約7キロ減少)
  • 無気力で何にも興味がない
  • 体がつねに重だるい
  • 悪夢ばかり見る
  • 睡眠薬を飲んでも眠れない日が増える
  • 耳鳴り・耳が常にこもって聞こえる(自分の心臓の音が常に聞こえている状態)

食欲低下により体重はどんどん減っていったのですが、当時の私は鏡を見て肉がついている状態が気持ち悪くて、とにかく痩せたいという拒食症のような状態になっていました。(食べるということは生きるということであり、体に脂肪があるということはその分生きるエネルギーがあるということでもある。それは死にたいという気持ちに矛盾する)という考えでした。

自殺未遂

薬の副作用と鬱の状態が酷くなってからは、毎日のように死にたいと思っていました。
どうやって死のうか。いつ死のうか。そういうことばかり頭に浮かびます。

精神科の先生に死にたいというと、「死ぬのはいいけど、周りに迷惑かけないでね。まあどの死に方も迷惑だけど。」と言われて終わり。抗うつ剤・睡眠薬を沢山ほしいと言うと、「本当はダメだけど、出しておきますね」と、自殺できそうな量の薬を出してくれました。

大量の薬とお酒で自殺未遂。救急車で運ばれる

40人の社員と台所・風呂・トイレ共同の寮生活だったので、寮で死ぬわけにはいかず。歩道橋から飛び降りようとしてみたり(薬の副作用で歩道橋を乗り越えられず)、公共のトイレの中で首を絞めてみたり(手に力が入らずただ苦しいだけ)しましたが当然うまくいくわけがなく。

色々調べたり考えた結果、一気に沢山のたばこを吸い、同時に大量の薬をアルコール度数の高いお酒で飲めば死ねるんじゃないか・・・どこか人がいないところでそれを実行すれば、できるだけ迷惑をかけずに死ねるんじゃないか。という考えに至りました。

実行するまで

確実に死ねるかもと思ったら、奨学金のことが気になりました。
奨学金の返済がまだ300万くらい残っている。私が死んだら残りの返済はどうなるのか。もし親が返済することになると、死んでも迷惑をかけ続けてしまうことになる。

支援機構に電話し、死んだあとの返済がどうなるか問い合わせました。
『死亡の場合、状況により審査され未済額の全部または一部が免除』という回答。
一部免除だと残りは親が払うことになるので、せめて負担が少なくなるようにと、その時貯めていた約100万円を全額返済にあて、翌月引き落としになるように設定しました。

死んだあとに部屋の荷物の処分をしやすいように、部屋を整理しておきました。父の誕生日が近かったので、父の誕生日プレゼントを準備してベッドの上に置いておきました。

実行当日

お昼頃ドトールでコーヒーを飲みながら(どこで死のうかな)と考えていました。
その時、母から電話がありました。

「大丈夫?心配で心配で・・。」母は何かを感じ取っていたのかもしれません。
「全然大丈夫よ。心配しないで」と電話を切りました。心の中で、母に何度も謝りました。
母の声を聞くのもこれで最後か。と思うと涙があふれてきました。

母の声を聞いて死ぬという意思が少しグラつきそうになったので、連続でひたすら煙草を吸い、抗うつ剤も何錠か飲みました。煙草を一箱吸い終わるころドトールを出て、漫画喫茶に行きました。なんで漫画喫茶に行ったか覚えていませんが、漫画喫茶に着くころにはすでに足元がフラフラしていました。

漫画喫茶では、(今日死ななきゃ)ということで頭の中がいっぱいで、お酒を飲みながら煙草を吸い、抗うつ剤や睡眠薬をおつまみのように何錠も飲んでいました。
どこで死ぬか・は、もう考えられないくらい頭が朦朧としていました。
あまり覚えていませんが、(漫画喫茶で死んだりしたら相当迷惑だ)と思ったのか、気づけば外にいました。

フラフラ歩きながら、ひたすら抗うつ剤と睡眠薬をお酒で飲み続けました。おそらく30錠以上は飲んだと思います。

そこから記憶がなく、ふと目を開けると警察に囲まれていました。
私は公園のベンチで倒れていて、口からだらだら何かを吐いていました。
警察が何か質問してきますが、なぜか一言もしゃべれません。

そこから意識がなくなり、次に気づいたときには救急車の中でした。
救急隊員の「家族に連絡を!」という言葉が聞こえ、精一杯の力で「ダメ」と伝えたのを覚えています。

また意識がなくなり、気づいたらベッドの上で点滴をしていました。
しばらくしてマネージャーが来ました。
なぜマネージャーが来たのか。救急車で携帯を見られたのか、朦朧としている中マネージャーの名前を言ったのか、もしくは持ち物にマネージャーの名刺が入っていたのか、全く覚えていません。

その日は1泊入院しました。
翌日退院するとき、マネージャーが迎えに来てくれました。
入院でかかった費用、約9万円・・
請求額を見た瞬間に(ああ、なんで死ななかったんだろう)と改めて落ち込み、過呼吸になりました。奨学金の返済で約100万円(全財産)を翌月の引き落としにあてたので「払えません!」とパニック状態。
冷静になるまで時間がかかりましたが、結局奨学金の引き落としを止めればいいことに気づき、ちゃんと支払いました。

精神科の先生に首吊りをすすめられる

病院からの帰りの車でマネージャーに、通っている病院を変えた方がいいと強く勧められました。相当心配していたらしい。

寮に帰り、もう薬がないことに気づきました。
いつものように薬をもらいに通っている精神科へ行き、
「薬を沢山飲んで死のうと思ったんですけど、結局死ねませんでした」と軽く話してみました。

すると、
「薬よりか、首吊りが一番確実よ。今度やるなら首吊りにしなさい。首吊りで確実に死ねる方法を教えとくね。」と言い、紐を使って首を絞める角度など説明してきました。
当時の私は(この先生、私に死んでほしいんだな。みんな私に死んでほしいと思っているのかもな)と思うだけでそれ以外何も感じませんでしたが、今思えばとんでもない人でした。

精神科から心療内科へ

マネージャーから、とある心療内科をすすめられました。「一緒にいくから、お願いだから病院を変えてほしい」と。
病院を変えるつもりはありませんでしたが、マネージャーが必死に病院を探してくれたのだと思うと申し訳なく、心療内科に行ってみることにしました。

初診でおかしくなり、解離性障害・パニック障害と言われる

初診でいろいろ聞かれることは分かっていましたが、何度も同じことを聞かれている気がしてイライラしていました。薬だけ処方してくれればいいと思っているのにカウンセリングもあり、やっぱり病院を変えなきゃよかったと後悔。

どのタイミングでどうなったか記憶にありませんが、病院の椅子を蹴飛ばしたり罵声を浴びせていたそうです。

二回目の診察で、先生はなぜか驚いていました。
「前回と同じ人よね?あなた前回別人でしたよ。おそらくうつ病だけじゃなくて、解離性障害とパニック障害もありますね。今飲んでる薬を変えてみましょう。」と言われました。

精神科の先生と違って、治そうとしてくれている感じがしました。

体の不調が少なくなっていく

心療内科に通いだして薬を変えたからか、徐々にふらつきなどの体の不調が少なくなっていきました。死にたいと思う日は変わらずありましたが、自殺未遂する前のように毎日ではなくなりました。

心療内科では抗うつ剤や睡眠薬だけでなく、拒食症の人が飲むドリンク(栄養剤のような薬)も処方してくれていました。ドリンクに体に必要な栄養が入っているのか、以前ほど体の倦怠感を感じなくなっていました。

完治するまで

心療内科へ通うようになってから、自殺のことはあまり考えなくなりました。薬で頭がボーっとすることも少なくなり、自分の人生について考えることが増えました。

ついに退職。実家へ帰る

休職中に1週間ほど実家へ帰り環境を変えてみると、(会社を辞めることが、会社にとっても私にとってもいいのかもしれない)と思えるようになり、退職することにしました。

自殺未遂から3ヵ月後の退職。

実家(県外)へ帰ると両親はとてもうれしそうでした。栄養のある食事を沢山作ってくれて、「食べれる分でいいから少しでも食べてね」と、温かく支えてくれました。

家族の支えでだいぶ体調も良くなっていきましたが、いきなり不安定になり消えたくなったり夜眠れなかったりという日がたびたびありました。
実家から通える精神科へ行き、今までのことや最近の症状を話すと抗不安薬と漢方薬を処方されました。薬を飲んでいても不安定になる日があったため、すぐに仕事を探さず自分のペースで資格の勉強をしたりしていました。

働き始めるが1年で転職

実家へ帰ってからしばらくして仕事を探し始め、営業職で仕事が決まりました。
仕事が決まったころには体調も良くなり、死にたいと思うこともほとんどなくなっていたので、実家を出ることにしました。

仕事を始めて最初の頃は、同期の人とも仲良くなり久しぶりの仕事に働ける喜びを感じていました。体調もよく不安定になることもなくなっていたので、自分としては治ったと感じていました。
入社して数か月が経ったころ、仲のいい同期の人(年上のシングルマザー)に「お金がなくて子供をお風呂に入れることができない。どうしよう」と相談されるようになりました。子供がかわいそうでお金を渡すようになり、それ以降「お金がなくてヤバイ」と言われるたびに、ちょこちょこお金を渡していました。

この仕事は基本給が少なく、営業で数字を出せば半年後に反映されるというシステム。徐々に貯金もなくなり、カツカツの生活。カツカツの生活にストレスを感じるようになり、少しでもお金を稼ぐために週末仕事が終わったあと飲食店で働き始めました。
ストレスや疲れが溜まっていたのか、夜眠れない日が増えていきました。
お金がないと言っていた同期が夜よく飲みに行って遊んでいることを知ったときは、お金を渡していた自分の馬鹿さに落ち込み、消えたくなりました。

昔のことを思い出してしまうのか、ストレスが溜まっていたのか分かりませんが、たびたび過呼吸になったり動悸がしたり、1日中落ち着かない日もありました。
治ったと思っていたけど、このころは完全には治っていなかったようです。
(このころは、薬を飲んだり飲まなかったり)

お金に余裕がないことで精神的に不安定になってしまうことや、仕事にやりがいを感じなかったこともあり、働き始めてから1年が経つころに転職活動を始めました。

転職して今の主人と出会う

気になっていた会社で採用がきまり、退職してすぐ入社することができました。
(この会社で会社説明会や面接していた人が今の主人)

この仕事は給料もよく、やりがいもあったので働くことが楽しいと思える仕事でした。忙しくもやりがいのある毎日に充実していました。
それでもたまに、仕事で失敗したり職場の人とうまくいかなかったりしたときは不安定になったり不眠が続いたりすることがありました。ただ、前のように精神科に通ったり薬を飲むことはしなくなりました。(薬を飲むことでまた薬に依存してしまう・悪化してしまうかもしれない。と感じていたため)

主人は当時エリアマネージャーだったので、たまにしか一緒に仕事ができなかったのですが、お客さまに対する考え方や社員への接し方などを見ていくうちに、主人の魅力に惹かれていきました。

私からアプローチして、お付き合いすることができました。

主人の心の持ち方や考え方を聴いていくうちに、不安定になったり不眠になることがなくなりました。白か黒で物事を考えていた私でしたが、いろんな視点で物事を捉えていけるようになり、視野が広がりました。

そして何より、(消えたい・死にたい・人に迷惑しかかけない存在)といった自分の存在を否定するようなネガティブ思考がなくなりました。

主人と出会い前向きに人生を楽しめるようになったことで、うつ病から完全に抜け出せました。うつ病はなかなか治らない(再発率が高い)と言われていますが、私は完治したと思っています。

まとめ

うつ病になってから完全に治るまで約3年かかりました。

抗うつ剤は基本、長期間服用することで時間をかけて治していくもの。なので、私が記事で書いている『薬が効いている状態』というのは、もしかすると薬の副作用・過剰摂取による症状なのかもしれません。

私の場合、最初に受診した精神科(メンタルクリニック)でたくさんの薬を処方されたことで薬に依存してしまい、症状が悪化した可能性が高いです。私のうつ病は、おそらく薬ではなく心の持ち方・物事の捉え方で治ったのだと思います。

うつ病は薬で治る人ももちろんいますが、環境を変えたり物事の見方を変えてみるだけでも治療の一つになるのかもしれません。

うつ病は人によって症状や状況が違います。私の記事は、あくまで私個人の体験談なので、(こういう人もいるんだ)と参考程度に見ていただけると幸いです。

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